イエスキリストにある希望を届けるホーリーホーププロジェクト
どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。 ローマ 15:13
Holy Hope Project トップページニュース 竹下力・竹下静の活動予定と報告聖書からのメッセージ 説教集コラム 日常の中で導かれた聖書のみ言葉などHoly Hope Project についてキリスト教関連のリンク集

 ■コラム
日々の生活の中で、心にうつり行くよしなしごとをそこはかとなく、書き綴ってみます。
個人的なたわ言や、聖書からのショートメッセージなどなどです。

<<前のコラム | 次のコラム>>
2004年10月21日(木)
おっちゃんたちの口論

今日の帰り、電車を降りた駅のホームで二人のおっちゃんたちが口論をしはじめていました。
詳しい理由はわかりませんが、たいてい、この手の喧嘩はどちらかがぶつかっただの、邪魔だっただの、文句をつけただの、謝らなかっただの、そんなものです。
きっかけは、本当にちょっとしたことなのに、口論になってしまう…。
私も、本質的には短気な方なので、その気持ちと言うか、感情は、むしろよくわかります。^^;

…ですが、状況が第三者的に見れる時、本当に些細なことなんですよね。
決して忍耐力がないわけではありません。会社では、それよりもっと強いストレスにも耐えてきていると思うんです。いや、だからこそ、ちょっとしたことで怒りが湧き上がってきてしまうのかもしれません…。

今、本当に「愛」が必要なんだなと思います。
人は愛された分だけ、愛することができる…と言われます。このおっちゃんたちが、もうほんのちょっと誰かから愛をもらえていたなら、もしかしたらこの時、怒らずにすんでいるのかもしれません。
逆に、ちょっと怒ってしまう、ちょっと赦せなくなってしまう、その「ちょっと」で、社会全体の愛が、ちょっとずつ削られていってしまうような気がします。
今、少年犯罪が問題になっていますが、すぐに切れてしまうのも、ちょっとずつ、ちょっとずつ愛が削られてきた結果なのかもしれません。

「愛」というと大げさのような、重いような、難しいような気もしますが、
ほんのちょっと相手を思いやり、ほんのちょっと譲り合い、ほんのちょっと相手を赦せるなら、それだけでも心には暖かなものが広がっていきます。

ちなみに、今、韓国系の旅行会社に勤めていますが、韓国では、ほんのちょっとしたことは、「ケンチャナヨ」と言って、お互いに気にしません。すれ違いざまに肩がぶつかっても、どちらも、あまり気にしないそうです(それにも程度はあると思いますが)。
韓国人というと熱血漢が多そうですが、細かいことは気にしないんですね。逆に、そういう細かいことで文句を言う方が、おかしいと思うようです。
ところ変われば、いろいろですね。
ある韓国人スタッフは、日本人はエレベーターで相乗りするだけでも「すみません」って謝っていると不思議がっていました。
…なるほど、私は確かに言っていました^^;

肩がぶつかって怒ってしまう日本人、肩がぶつかっても気にない韓国人、でも、そんな韓国人の目から見ると、日本人はすごく親切で優しいとのことでした。
なんだか、ちょっと不思議です。


【特集】「教会で起きるマインドコントロール」
 マインド・コントロールは、多くの人を傷つけていきます。正統的な教会でも、罠にでもはまるかのようにいつの間にかマインド・コントロールによる支配体制ができてしまう事があ.るのです。
 そんなマインド・コントロールの罠から教会が身を避けるために、私自身が直接、見聞き体験した実例を通して、しばらく特集していきます。

 (1) はじめに
 (2) カルト教団に通った経験から
 (3) マインド・コントロールって…? 
 (4) マインド・コントロールの手法
 (5) 間違いだらけの聖書解釈「間違っていても、権威に従うべき?」
 (6) 番外編 「聖神中央教会」事件を考える
 
(7) 間違いだらけの聖書解釈「ことさらに罪を犯せば、地獄に行く??」
 (8) 間違いだらけの聖書解釈「疑うことは不信仰???」

(C) 2004 HOLY HOPE PROJECT