イエスキリストにある希望を届けるホーリーホーププロジェクト
どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。 ローマ 15:13
メッセージ

 ■コラム
日々の生活の中で、心にうつり行くよしなしごとをそこはかとなく、書き綴ってみます。
個人的なたわ言や、聖書からのショートメッセージなどなどです。

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2004年10月1日(金)
クリスチャンて。。。罪人

…では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。
それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。…」
ローマ 3:9〜10 


長年、キリスト教界に関わっていると、やっぱり、クリスチャンって、罪人だよな。。。って思うときがあります。もちろん、自分を含めてです。
正確に言うならば、「クリスチャンも、罪人」なのかもしれませんが。。。。

「義人はいない。ひとりもいない。すべての者が罪に定められている。」とは、有名な御言葉ですが、聖書が…いや、神がそう宣言しています。

ところが…、時に、クリスチャンには、あたかも自分が「神の義」を全うしているかのように錯覚し、正しさを振りかざして、逆に横暴な振るまいをしてしまっているなんてこともあります。
愛や赦しはどこかにいってしまい、「神の義」、「主の義」とかいいながら、人を責め、裁き、自分が正義かのように振舞ってしまう。
私にも、以前、そんなふうな振舞いをしてしまったことがありました。

 しかし、たとえ仮にその主張自体が、どんなに正しいことだったとしても、それって「罪」なんですよね。

正真正銘、本当の神の義は、あの十字架の上でこそ全うされたこと。
『律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。』ガラテヤ 5:14 
神の義は、愛があって初めて全うされるのです。

 そうは言っても愛するということ、赦すということ、頭ではわかっていても、実際には難しいものです。。。私も実際、よく腹を立ててしまうことがあります。

やっぱり「クリスチャンって、罪人」なんだな…と思います。
そして、そんな私たちを救うためには、やっぱり十字架が必要だったんだな…って思うのです。


【特集】「教会で起きるマインドコントロール」
 マインド・コントロールは、多くの人を傷つけていきます。正統的な教会でも、罠にでもはまるかのようにいつの間にかマインド・コントロールによる支配体制ができてしまう事があ.るのです。
 そんなマインド・コントロールの罠から教会が身を避けるために、私自身が直接、見聞き体験した実例を通して、しばらく特集していきます。

 (1) はじめに
 (2) カルト教団に通った経験から
 (3) マインド・コントロールって…? 
 (4) マインド・コントロールの手法
 (5) 間違いだらけの聖書解釈「間違っていても、権威に従うべき?」
 (6) 番外編 「聖神中央教会」事件を考える
 
(7) 間違いだらけの聖書解釈「ことさらに罪を犯せば、地獄に行く??」
 (8) 間違いだらけの聖書解釈「疑うことは不信仰???」

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